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湯坂城址説明板は山頂よりかなり低い所にあった。 |
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湯坂山の表示、標識がないため定かではないが、地図の湯坂山ポイントが左の緩いピークだ。この辺を探せば三角点があっただろうが、通過してしまい確認できなかった。 | ||||||||||||
《湯坂城址》 湯坂城は、室町時代、御厨(みくりや)−御殿場地方−から西相模一円に勢力をはった、大森氏が築城した城である。 この大森氏は、明応4年(1495)相模支配を狙う伊勢宗瑞(北条早雲)に滅ぼされ、代わって箱根山は、後北条氏の支配下になった。 天正後年、豊臣秀吉と、北条氏の確執が激しくなると、後北条氏は、秀吉との対決を予測し、小田原防衛のため箱根山に多くの山城を築くが、湯坂城もその時整備されたものと思われる。 |
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神奈川の山頂データベース 141-1 |
ありがたき山とかれんな花 神奈川の三百峰 |
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湯坂山 (ゆさかやま) |