秋田県ハイキングコース
HP03-400
関が原敗者の歴史探訪
湯沢城址・お城山
トレック日 2016年5月31日(火)晴れ/曇り
山 名
お城山 約220m 
(学校山、古館山ともいわれている)
場  所 秋田県湯沢市
メンバー せんぼく隊(senboku隊長・たかちゃん副隊長2名
標高差 標高差:122m、累積標高差:157m
時  間
距  離
トレッキング :1時間26分
沿面距離:約4.6km
P・WC 中央公園駐車場(無料)、WCあり
地図・コース↓
《全行程》
13:35大仙発〜15:07湯沢・中央公園P〜15:09お城山トレッキング16:34〜新庄で買物〜道の駅尾花沢P夕食〜道の駅天童(温泉NG)〜20:32天童最上川温泉ゆぴあ〜22:43東北道吾妻PA泊
《トレックコース》
15:08 中央公園Pスタート
15:20 二の丸跡分岐
15:32 見張台跡
15:37 本丸跡
15:40 五社壇跡、お城山山頂
15:45 馬場跡
15:47 城址線口
16:31 力水
16:34 中央公園Pゴール
↓記録写真↓
 秋田への往路で米沢の上杉神社に立ち寄ったことで、湯沢を通った。関が原の戦いで西軍が負け、上杉は米沢に転封されたことは誰もが知っていることだろうが、秋田にも関が原の負け組みがいることは、あまり知られていないだろう。それが、この湯沢を治めた小野寺氏なので、以前から興味があった。そこで、帰りがけの駄賃で、湯沢城址を覗いてみようと、湯沢に向かった。
 興味はあったが、事前調査をまったくしていなかったので、行き当たりバッタリのトレッキングになった。

15:08 中央公園Pスタート
通行止めになっている管理用の舗装道路を登ると右に佐竹南家ゆかりのお沢稲荷神社がある

丁度、草刈の最中で、働いている人には悪いが、むせるほどの青臭さがたまらん。

15:20 二の丸跡分岐
二の丸は左だが、丸太階段の山道で山頂の本丸を目指す。階段が終わると道が細くなり、草が生い茂り、急登もある。ここにきて、サンダル履きを悔やんだ。

15:32 見張台跡

見張台から 西方向の展望が開けている。

15:37 本丸跡、山頂
標柱「湯沢城本丸跡」、説明板「本丸跡」、石碑があり、山名に関わるものは無かった。植林に囲まれ展望はない。
GPS標高≒214m

15:40 五社壇跡、山頂
本丸跡より6m高い所に、標柱「湯沢城五社壇跡」、説明板「五社壇跡」が立っている。GPS標高≒220m、本丸との差が少ないので、どちらも山頂ということにする。

何か言いたげの 五社壇の岩

15:45 馬場跡

15:47 城址線口
舗装道路に出た。事前にこの場所を知っていたら、本丸に10分で行けるが、散策の楽しみは少ない。

つまらない舗装道路歩きは花を見て気を紛らわしていたら、怪しげな木のウロ発見。中にはかわいい石像が安置されていた。合掌。

道路のマンホールの蓋
湯沢市三大祭のデザインで、上から「七夕絵どうろう祭り」、左が「大名行列」、右が雪像を作る「犬っこ祭り」。

16:31 力水
16:34 中央公園Pゴール
勉強コーナー
ハイキングのページなので、歴史・城・武将については浅く、参考程度に紹介します。

【湯沢城概要】※現地案内板より
 湯沢城は鎌倉時代後期、小野寺氏によって稲庭城の支城として築かれたと伝えられる。小野寺氏はのちに雄勝、平鹿の二郡を領有する戦国大名となるが、その成長過程で湯沢城の果たした役割は大きいしかし、文禄4年(1595)城主小野寺孫七郎のとき、最上氏の軍勢に攻められて落城し、以後最上の武将楯岡豊前守満成が城主となる。
 関ヶ原の戦いから二年後の慶長7年(1602)、佐竹義宣の秋田転封にともない、佐竹南家三代義種が湯沢城城代となる。義種は城の整備を図り、住居と役所を兼ねたお屋敷を麓に構える。元和6年(1620)山上の城は一国一城令によって破却される。
 やがて、城址はお城山と呼ばれ、また、お屋敷の跡に小学校が建てられたことから裏山である中央公園は学校山と呼ばれて親しまれている。(この学校は既に廃校になっている)

【湯沢城概要2】
 湯沢城は湯沢市街地の南東にある古館山に築かれており、現在は中央公園として整備されている。湯沢城は標高220m余りの山頂に主郭を置き、南東に馬場、北西に見張り台、北に二ノ丸を配しており、規模は東西約400m、南北約650m程である。全体的に曲輪の規模が大きく、切岸も高く明瞭である。
 主郭は東西に長く東端に「五社壇跡」呼ばれる高台があり、城主が祈願した所と云われるが、櫓台のようである。この背後には堀切があったようであるが、現在は余り明瞭ではなく、そのまま背後にある馬場へと続く。
 主郭の南東にある馬場はその名が示す通り、長く広い曲輪で東端部にL字に土塁が付いている。 主郭の北西の尾根先にある物見台は八幡神社の上にあり、城の西端に位置して城下を見下ろす。北の尾根を降りていくと二ノ丸との間に大きな堀切がある。二ノ丸は標高190mから200mで東北東へ延びた尾根にある。

【小野寺氏の歴史】
 湯沢城の築城年代は定かではないが鎌倉時代後期に小野寺道定によって築かれたと云われる。 道定は稲庭城主小野寺経道の三男である。文禄年間(1592年〜1596年)頃には三春信濃守、天文年間(1532年〜1555年)頃には八柏大和の二男孫七郎が小野寺孫七郎と名乗り湯沢城主となっていた。
 文禄4年(1595年)最上義光は楯岡豊前守満茂を大将として湯沢城へ侵攻、小野寺孫七郎・孫作兄弟は最上の大軍と激戦を交えたが、横手城主小野寺義道は援軍を送ることができず、孫七郎・孫作兄弟は見殺しとなり湯沢城は落城した。
 湯沢城を落とした最上氏は楯岡満茂を湯沢城主とし小野寺氏への押さえとした。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で小野寺氏は当初徳川家康に従って最上氏を支援していたが、上杉軍が最上領に侵攻し長谷堂城で激戦を交えるに至り、長年に渡り最上氏と敵対していた小野寺氏は最上方を離反して上杉方となった。関ヶ原において東軍が勝利すると、小野寺氏は改易となった。
 
後記
 歴史や城址は好きだが、あくまでもトレッキングのついでなので、事前の勉強はしていなかった。
今回、湯沢城址を探訪し少し勉強した結果、次回は本城である稲庭城や横手城にも立ち寄って見たいと思った。トレッキングから脱線しそうだが、「関が原の負組」ということが何故かそそられる。
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