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↓春木経幸せ道 ↓ | ||||||||||||||||||||||||||
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↓一の堰ハラネ↓ | ||||||||||||||||||||||||||
怒田丘陵の斜面に植栽された120本の春めき桜が、枝ぶりが良くなり見ごたえが増した。ここの桜には植樹した人の名前が書いてある。 農産物や特産物の販売を楽しみにしていたが、桜まつりの店は既に撤収したようで、残念だった。 ハラネ=斜面のことかも? 堰(せき)=右写真の用水路が堰。一の堰はどこだろうか? |
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↓アサヒビール神奈川工場↓ | ||||||||||||||||||||||||||
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↓ふくざわ公園↓ | ||||||||||||||||||||||||||
小さな公園でアットホームな桜まつり。桜は広い田園に点在している。写真の通りテントは片付けられていた。以前、ここで食べたオクラの花がおいしかったことを思い出したが、今回はなにもナシ。 |
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↓森と水の公園↓ | ||||||||||||||||||||||||||
ナビの地図に「沼田城」とあったので、往路に向かったが、行き着けなかった。帰りに再挑戦していたら、見事な春めき桜の公園に迷い込んでしまった。 |
広い駐車場がり、看板には「昭和56年度 指定森林業構造改善事業(緑地休養施設)」とあるが、公園の名称は不明。後日、調べると、「森と水の公園」で所在は南足柄市三竹 584でした。 |
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↓これが「沼田城」だ!↓ | ||||||||||||||||||||||||||
真田氏の居城、群馬県沼田市の沼田城と同名だが、こちらは、標柱がポツンと建っているだけで、畑になっていた。城オタではないので、これだけではガックリ。 |
沼田城は平安時代末期から鎌倉時代の初めにかけて相模の大族である波多野氏から分かれた沼田氏によって築かれた。源頼朝が挙兵すると沼田氏は波多野一門とともに最初は平氏に味方したが、後に頼朝に臣従している。鎌倉幕府成立後も御家人として活躍し奥州征伐や承久の乱にも従軍している。 応永23年(1416)の上杉禅秀の乱において沼田氏は禅秀方に味方したため足利持氏によって所領を没収され、沼田氏の旧領は大森頼春に与えられた。明応4年(1495)に北条早雲によって小田原城が攻略され大森氏が没落すると沼田城も北条氏の手に落ちた。 リンク:相模国 沼田城 |
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↓後記↓ | ||||||||||||||||||||||||||
雨がポツリと落ちてきたこともある天気だったが、どうにか一回りできた。一の堰とふくざわ公園は店仕舞いしていたので、もっと早く出てくれば、楽しかっただろう。 |
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