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戸川の河原?に着いたが、バリケードがあり、工事用車両が入っている。付近を捜したが、他も工事用で占用されていた。少し戻り、
08:16 作治小屋着。作治小屋専用?の有料Pに入れた
08:26 作治小屋スタート。 |
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08:30 戸沢休憩所を過ぎると、右に政次郎尾根入口がある。数十年前に植林のなかをウネウネ登った記憶がある。
←沢を渡った林道の終点にも工事用の設備、車輌がある。(写真は通り過ぎてから撮った)。 |
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08:35 書策新道への分岐。道標に絵が書いてあるが、よく解からない。右の沢を横断して進んだが違っていたようで対岸に戻ると堰堤付近に赤ペンキの印があり、階段を登って進む。 |
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08:39 「源次郎沢入口・本谷F5近道」「書策小屋」の道標があり、黄色テープで封鎖?されていた。他に書策新道へのルートがあるために封鎖したものと思い、沢に沿って先に進んだ。
左の15m位上に登山者が見えたので、そこが書策新道ですか?と尋ねるとそうだと言う。書策新道に入るべくヤブコギ直登したが、半ばで進めなくなってしまった。今日は副隊長もいっしょなので撤退し、先ほどの黄色テープまで戻ることにした。ロスタイム15分だがどっと疲れが出た。 |
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08:54 「書策小屋」の道標に戻り、黄色テープをくぐって進んだ。先ほど撤退したポイントまであっけなく着いた。上部は岩場とヤブだったので撤退は正解だった。と言うよりも直登を止めるべきだった。
←09:38 崩壊した谷間をへつる。ロープが架けられていなかったら、ここも撤退だったろう。 |
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←09:44 水無本谷沢?。道標が沢の合流地点中央にある。谷を横断し、ロープのある所を登る。
10:08 小さい沢(休13分)。沢の水を少し飲んでみたが特に問題は無さそうだ。 |
途中に補修用丸太が置いてあり、橋?までの荷揚げのお願いが書いてあったような気がする。
10:27 ゴム長おじさんが下ってきた。橋?を尋ねたら、今はもう無くなったとのこと。ひょっとしたら我々が書策新道を探している時に登って行った人が戻ってきたのでは? |
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数人の単独登山者がこの書策新道を下って行った。今回始めてこのルートを登ってみて、やっぱり危険なルートで、沢下りや横断が解かり難いので、我々の場合は慣れるまでは下りには使えないかも?
コースは沢や滝(写真上:白糸の滝?)があり変化に富んでいて飽きない。それに加え今日は青空がすがすがしい。
←シガ。 |
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11:00 書策小屋廃屋(休5分)作治小屋より2時間34分(歩2:06+迷15分+休13)。戸沢からのコースタイムが2:20なので、我々にしては、かなりのハイペースだった。書策新道下山口も黄色テープで封鎖されていた。
表尾根の山なみを眺める。2008年2月16日(HP03-119)には雪の表尾根を菩薩峠からこの書策小屋まで来て撤退したことが記憶に新しい。 |
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右端が新大日、中央が木ノ又大日、そして左端に塔ノ岳の尊仏山荘が見える。近いようだが、アップダウンがある。 |
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11:18 新大日。離れて見るとピークだが、着いてみると道標に「新大日」の文字があるだけで山頂の雰囲気は無い。テーブルやベンチあるが、通過した。 |
新大日茶屋は閉まっているので、中の様子が見えないのが残念。この茶屋には悲しい思い出がある。かなり古い記憶だが、1984年(26年前)にファミリー登山で塔ノ岳に登った時にこの茶屋で飲み物を売っていたが、お金が無くて買えなかった。(当時は店があることを知らなかったのでサイフを持ってこなかった)子供には気の毒なことをした。あの頃は膝が痛い、疲れたなんてこともなく、低山ハイキング気分で無謀だったなぁと懐かしい。 |
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←11:33 木ノ又小屋。雰囲気の良いペンションのような山小屋。
←↑11:37 木ノ又大日。木ノ又小屋から少し進むと新大日と同じく登山道の道標に「木ノ又大日」の文字がある。 |
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富士山も顔を出し、鹿ものんびりと食事中。
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12:02 塔ノ岳 山頂着。
アップダウンを繰り返し、やっと着いた。富士山の方向に雲がかかり始めたので急ぎ写真撮る。三角点がGPSの位置にないのでスッキリしないがカップラーメンを食べる。近くではぶつ切り鶏肉と野菜を調理している。何が出来るのか解からないが、登山より力が入っているようで人それぞれ面白い。 |
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K100-D
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↑塔ノ岳山頂より 蛭ヶ岳(中央右寄り)を望む K100-D
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尊仏山荘玄関の東に三角点の標石を発見したが、まったく埋まっていない。置いてあるだけと言った感じ。国土地理院の三角点データを見ると「亡失」となっているので、本来あった場所から移動して置いてあるのか?。GPSで緯度経度データの位置をくまなく探したが痕跡はない。
12:56 塔ノ岳発(昼休54分)。尊仏山荘の西を通り、丹沢山へ向かい一気に下る。ああもったいない。右に三角ノ頭(寿岳)に行くVルートがあるはずだが何処だろうか?探しながら歩いたが道標は無さそうだ。いつか行こうと思っているが、初心者レベルでは無理だろうか? |
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←13:18 日高、山頂。
↑登山道道標に「日高」とあるだけで他に山頂標識は見当たらない。↓次の竜ヶ馬場へ向かうと笹尾根やブナが美しい。ブナ林の所は木道があった。 |
K100-D
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←13:50 竜ヶ馬場。大山方向の展望が開けていてテーブルやベンチが多い。
ここも道標に「竜ヶ馬場」とあるだけだ |
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←14:18 丹沢山、山頂。往路、5時間52分(歩4:40分+休1:12分)戸沢からコースタイム4:20なのでまあまあのタイムだが、遠かった。
一等三角点、点名:丹沢山 |
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←副隊長は28年前ぶりの「みやま山荘」だ。
みやま山荘の受付にいる女性が、山荘HP担当で「小屋番見習いの やまごやandやまあるき日記」を書いている人だった。やっと会うこと?が出来た。と言っても今まで何度か来ても山荘に入らなかったので会うはずもないが。お印にキーホルダーを買う。
14:32 丹沢山発(休14分)コーヒーでも飲んでゆっくりしたい所だが、日没前に帰れるか微妙な時間なので、山頂を後にした。それにしても綺麗な小屋番さんだったネと二人の意見が一致した。
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15:40 塔ノ岳(休8分)。
丹沢山より1:08分>1:00
尊仏山荘近くで、久々の雄鹿。 |
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16:05 金冷し。塔ノ岳より17分>15
事件発生!副隊長の膝が痛くなってしまった。みやま山荘に泊れば良かったが後の祭り。花立山荘の前でも悩んだが、ここまで来たらゆっくりでも下りる事に決定。日没は必至だが覚悟して進む。
16:40 花立の下(休10分)
16:58 天神尾根分岐。資材運搬用のレールが作られ、えぐれた旧登山道には土留めの柵がある。 |
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隣に新しい登山道が出来ていて、階段の丸太がまだ白く、土も柔らかいので作りたてだろう。この白い丸太が夕暮れでも良く見えるので助かった。
副隊長は膝をかばって後ろ向きになって下るが、振り返って前を見なければならないので腰や首が辛そうだった。 |
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暗闇で大岩に文字が・・・・ああ気持ち悪かった。
帰ってから写真を見ると
一番上の梵字は解らないが「南無観世音悉地成就」と書いてある。何でしょうか?何のために?誰が?
※【悉地】 しっち
〔仏〕〔「しっじ」とも。梵語 siddhi 成就の意〕密教で、修行によって完成された境地。
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18:23 書策新道分岐通過。
←運搬用のエンジン。
18:36 作治小屋ゴール。金冷しより2:21>1:20
コースタイムより1時間多く費やしたが、無事に戻ることが出来た。
復路、4時間4分(歩3:46分+休18分)
18:47 作治小屋発 |